KMC地獄の夏の思い出シリーズ
遂に出口の見えなかったコロナ後遺症の苦しみに、Bスポット療法という一筋の光が刺した!
私はこの苦しみに終止符を打つべく、治療の専念と同時に休止せざるを得なかったライブの復活を心に決めたのである!
そして復活の場となったのは、なんとあの日本音楽会のゴッドファーザーでありJAPANESE HIPHOPの超パイオニア、近田春夫さんの還暦を祝うべく東京タワーの展望台で行われるB.P.M SYNDICATE復活祭というPartyであった!
フライヤーをご覧になっていただけただろうか?
私のような若輩者が名を連ねるには余りにも豪華な出演者の方々である。そして私は近田さんから直接このPartyのオファーを受けていたのである。
そもそも、なぜ近田さんとの繋がりがあるのか疑問を持っている方も多いだろう。
今年の4月にリリースされた私のAlbum「ILL KID」の収録曲である「HOO!EI!HO!」という曲があるのだが、この曲のオリジナルは近田春夫さんで、それを1998年にYOU THE ROCK★さんがカバーし、それをKMCが2022年にカバーしたぜ!というものである。
既にレコーディングも終わっていた今年初頭。このカバー曲をAlbumに収録するにあたって、やはりこの先人お二方には許可を頂かなければいけない、YOUさんは面識もあり連絡を取りやすかったのだが、近田さんに関して私は全く面識はなかった。
このまましらばっくれてAlbumにこの曲を収録するのは容易いだろう、しかしそれでは何か泥棒を働いたような気分がして気が済まない。
私は意を決して近田さんのHPに記載されているブッキングメールアドレスに「HOO!EI!HO!」のカバーの許諾をもらうべく文章をしたため、REC済みの曲のデータを送信したのである。
おそらく相手にされないだろう、こんな曲は発表するなと言われたらそれもやむを得ないと思いを巡らせていた数日後、なんと近田さんのエージェントの方からメールの返信が来た!
メールの内容を恐る恐る読んでみると、近田さん自身がKMCの「HOO!EI!HO!」を絶賛してくれているという大変喜ばしいものであった!
カバーとアルバムの収録も進めて問題ないとのこと、その後YOUさんにもカバーの許諾をいただき「売れろよ!」との気合いも授かった。
その後、私は近田さんと連絡を取り合うようになり、近田春夫→YOU THE ROCK★→KMCと3世代で引き継がれたこの曲を3人全員で歌おうと提案があり、このPartyのブッキングを受けたのである。
私としてもこのPartyはなんとしても出演したい。前日にもBスポットをバッチリキメてパートナーの家に泊まり、東京タワーまで車で送り迎えをしてもらうよう出来る限り万全な状態でPartyに挑んだ。
当日、足がすくむほどの高さの東京タワーの展望台にてリハーサル、私はそこで初めて近田さんと直接顔を合わせた。「HOO!EI!HO!」をカバーさせてもらい、その曲が巡り巡ってこのような出会いを果たす事ができた喜びを私は爆発させた。
近田さんも私との出会いを喜んでくれて、ご自身の経歴、音楽、考え方など丁寧な受け答えで気さくにたくさん大変興味深い話をしていただいた。
その後YOUさんが現場に到着し、3人で「HOO!EI!HO!」を歌ってみるということでリハーサルが開始。いざ今まで通り歌うと喉の奥が熱を帯びたように痛み”めまい”がした。
私の体調も地獄のような状態からは快復に向かっているが、やはりまだLIVEをするには早すぎる。しかし以前のようにそのままクラッシュする事はなく、私はそのまま持ち堪え本番に挑むこととなった。
舞台袖で私はYOUさんと互いに気合いを高め合いいざ本番、近田さんの呼び出しでYOUさんと共にステージに向かい「HOO!EI!HO!’98」を3人で炸裂。
この時近田さんもRapしVerseを被せていたのだが、なんとRapをするのが30年ぶりとのことだったらしい!
とてつもない瞬間に私は立ち会っている。
そしていよいよKMCの「HOO!EI!HOO!」だ!
先人のお二人からこの曲を通じて授かったForceを今こそ爆発させる時だ!
私は全身全霊をかけ全VerseをKickし倒れることなく一曲丸々歌い上げた!
その後近田さんとYOUさんと偉業を成し遂げた喜びを分かち合い、また「HOO!EI!HOO!」をやろうと誓いあった。世代を超えて繋がったドラマチックHIPHOPである。
そして会場の盛り上がりとは別に、コロナ後遺症を乗り越え打ち勝とうとしている自分自身に一人私は内側で打ち震えていた!
歌い切った私の体への反動は大きく、歩くのがやっとの状態で東京タワーを後にし、車でパートナー宅に着いた瞬間に泥のように眠りに着いた。
翌日、起きた際に顔面がパンパンに浮腫み上がり体調は完全にクラッシュ。Bスポットをキメるも、ある程度動けるようになるまで4日ほどかかった。
なんとか東京タワーでのLIVEは成功させたが、歌ったのはたった1曲である。それでこんなにダメージを喰らってしまうなんて、もっと尺があるLIVEは一体どうなってしまうのだろう?
その次のLIVEは長野県松本市で行われているフェス「りんご音楽祭2022」であった。
LIVEの尺は30分程度で、おまけに県を跨ぐ遠征となる。
まだ日数はある、とにかく今は治療に専念するしかない。
⑥に続く。。。
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